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between the sky


フィンランドの片田舎での営み
by bts_wn
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漢字と聖書

今週、一日会社で会議の日があったけれど、自分にはあまり関係のない事だったので、つい話を聞いていずに頭は別の事を考えていた。

第一コリントに出てくる御言葉、「いつまでもに残るのは信仰と希望と愛です」っていうのが頭に浮かんだ。
「愛」は、「心を受ける」と書く。神の心を受け入れる事、それが愛。
「信」は、「人の言葉」だから、人の言う事を信じるっていうこと。
じゃあ、「希望」はどこから来ているのだろう?
「望」は王と亡くすと月。王は「王の王」でイエス様の事。今までの死んだ月日に新たに希望を持つ事から「望」っていう漢字が出来ているんだ…。

ヨハネ 16:24「求めなさい。そうすれば受けるのです」
望むこと。いつもイエス様を通して望むこと。

その他は「義」。
旧約聖書で神に「人間の罪の浄化」の生け贄として捧げる「羊」と自分を意味する「我」。
生け贄を通した自分が「義」(神様の目に正しい者)と認められること。
新約では「神の子羊イエス様」を信じて、「自分」の罪をあがなわれた者が「義」とされる。

「船」もノアの箱船に乗っていた、ノアとその息子と家族達「8人」が、船の漢字の中の「八」なんだと。

「禁」は「示」は神、二本の「木」はエデンの園にあった「知恵の木」と「生命の木」の事なんだそうな。神がその木の実を食べる事を「禁じた」。だから「禁」。

こうやって考えると、漢字ってどれだけ聖書を土台にしているかって事が明確になる。
日本も御言葉から離れた国ではなかったんだと。

聖書を英語、フィンランド語、日本語と比べる事もある。
日本語で「?」な事も、フィンランド語のほうが解りやすかったり、そして逆の場合もあったり。
しかし、日本語の表現ってとても豊富だと思う。
やっぱ、フィンランド語で読む聖書はちょっと味気ないと感じるから…。(自分のフィンランド語能力の問題なのかしら…?)
by bts_wn | 2007-11-04 05:24 | 日々雑感