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フィンランドの片田舎での営み
by bts_wn
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カテゴリ:ステパノ勝利( 282 )

聖書:ルカ23:34

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」イエス様の十字架上での7つの言葉の一つです。弟子や仲間からも見捨てられ、多くの人に裏切られ、罪がないのに罪人として苦しめられ、極刑の十字架につけられた状態で発した言葉です。自分が悪くても謝りたくない!小さな些細なことでも、絶対に赦さない!と言ってしまう私たちです。もし仮にイエス様の立場になるとなんと言うでしょうか?『くそ〜!この野郎!呪ってやる!俺は無実だ!……」果てしなく汚い言葉が出てきそうです。しかし、イエス様は赦して下さり、父なる神様にも私たちの赦しを願ったのです。この十字架の愛のゆえに、私たちは救われ神の子として素晴らしい人生を始めることができました。神の赦しをしっかりと受取り、一歩でもイエス様に近づく歩みをしましょう。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-26 14:24 | ステパノ勝利

聖書:ルカ22:25

「すると、イエスは彼らに言われた。『異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。
だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。』」イエス様が十字架にかかる前の最後の晩餐のすぐ後でも、弟子たちは誰が一番偉いかと話をしていました。誰が一番偉いか?この思いは人の心の根底にあるものです。いつもあの人よりも私のほうが偉い!賢い!正しい!別の言い方をするとプライドです。譲ること、謙遜になること、謝ることが出来ないのです。イエス様は本当の権威や力は謙遜な態度の中にあると原則を教えて下さいました。この世の価値観とは逆です。立派になればなるほど若い者のように、仕える人のようになりましょう。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-25 16:16 | ステパノ勝利

聖書:ルカ21:37

「 さてイエスは、昼は宮で教え、夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。民衆はみな朝早く起きて、教えを聞こうとして、宮におられるイエスのもとに集まって来た。」教えは聞きたいと思う人に語ると効果的です。教えてもらいたくない、聞きたくない!という人にどれだけ一生懸命真理を語って無駄なのです。あなたは、聖書の話を聞きたいと思っているでしょうか?では、どんな話を聞きたいと思っているのでしょうか?人々は、朝早く起きても聞きたい話があったのです。それは内容もそうですが、イエス様の口から出るいのちの言葉が聞きたかったのです。まさしくイエス様ご自身に会いたかったのでしょう。今も話しの内容よりも、話す人への魅力が人を引き付けると思います。イエス様はあなたを愛しています。十字架であなたの罪の身代わりに死ぬほどです。この魅力あるイエス様をともに求めましょう。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-24 20:14 | ステパノ勝利

聖書:ルカ20:46

「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。・・・・」律法学者たちは、はじめからイエス様を信じることや理解することを拒絶しています。当時の宗教界を牛耳っていたからです。イエス様ははっきりと、「律法学者たちには気をつけなさい!」と言っています。律法は良いものですが、相手に対する愛のない適応は害になることが多いのです。彼らは多くの人に聖書を教えていました。だから、イエス様は彼らの教えには特に注意しなさいと言っています。決して彼らの行いのまねをしないようにとも言っています。私たちもイエス様を主として見つめていないと、信仰が長くなればなるほど律法学者のような生き方になりやすいのです。イエス様に従うか?決して従わないか?これが見分けるポイントです。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-23 13:56 | ステパノ勝利

聖書:ルカ19:9

「 イエスは、彼に言われた。『きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。』」当時エリコで最も人々から嫌われていたのは取税人のザアカイです。人々からローマの税を取り立てるために、不正な方法や無情な取り立てもしていたのでしょう。彼はそのために大金持ちでしたが、誰からも愛されない孤独な人でした。お金だけが彼の友達でした。
そんなザアカイをアブラハムの子供と見て、声をかけ友として訪問したのはイエス様でした。ものすごい愛です。ザアカイはうれしくてうれしくて、彼は本当に変えられます。悔い改めて、彼のいのちのようなお金を貧しい人に施し、不正な利益は4倍にして返すのです。イエス様の愛は彼を本当の悔い改めと祝福の人生へ導きました。この愛をすべての人に知ってもらいたいです。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-22 15:30 | ステパノ勝利

聖書:ルカ18:29

「イエスは彼らに言われた。『まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。』」イエス様の言葉の本質をつかむようにしないと、過激と思えるようなことばに動揺することがあります。神の国の原則は、この地上では逆説的であったりします。捨てることは得ることであり、与えることは受けることなのです。ですから、決して捨てるとはゴミ箱に捨てるようなものではないのです。自分の所有権、自分の支配権、自己中心的な思いを捨てて、イエス様にゆだねる意味があります。逆に言うと、人は自分のものから手を離すことが難しく、新しい関係になりにくいのです。今日の御言葉は、だれひとりと書いているのですべての人に当てはまる原則です。永遠のいのちと、捨てた幾倍を受ける法則の御言葉です。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-21 19:23 | ステパノ勝利

聖書:ルカ16:28

「私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。」ハデスで苦しんでいる金持ちの言葉です。死んだあと地獄へ落ちて悔いてもそれではもう遅いのです。金持ちはせめて、残された五人の兄弟を助けて下さいと懇願しています。彼らによく言い聞かせくださいと。その答えはこうです。アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』そうです、人はよく言い聞かせても、聞く耳のない人、聞く耳の無い時は変わらないのです。神と聖書の言葉に心を開いた時に変化が起こるのです。ですから、人生に試練や苦難があることは感謝です。その時、神様に対して心を開く時が多いからです。試練が無くても神様に心を開いている人は幸いです。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-19 14:37 | ステパノ勝利

聖書:ルカ15:7

「 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」10節では、「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」と書いています。罪人が悔い改めることが簡単なら、それほど喜びは無いでしょう。ある面、罪人が悔い改めることは奇跡なのです。悔い改めとは180度人生の方向転換をすることであり、価値観を変えることです。神様の前に自分が間違っていたことを認めることであり、赦してくださいと赦しを請うことなのです。もちろん、神様はそれを喜び、赦しと祝福と新しい恵みで答えて下さいます。放蕩息子の例えでは、大宴会を催してくださいます。父は言います。「死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」と。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-18 15:58 | ステパノ勝利

聖書:ルカ14:13

「 祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」自分に良くしてもらえばお返しをするのは当然と考えるのは自然でしょう。しかし、本当に貧しくてお返しのできない人も世界には沢山います。金持ちが貧しい人に与えるのは当然という文化もあります。聖書は、人からお返しを受けると神様からのお返しはないと言っています。だから、お返しできない人に良くしてあげなさいと。彼らは愛される機会も少なく、恵みを一番感謝できる立場にいるのです。私たちもイエス様によって神の子とされあらゆる面で豊かにされました。この恵みを感謝して、主と同じように与えていく恵みにも富む者になりたいものです。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-17 22:34 | ステパノ勝利

聖書:ルカ13:18

「 そこで、イエスはこう言われた。『神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。』」津田の教育館にはからしだね木が生えています。イスラエルからの種をいただいて植えました。小さな種が育っても苗は野菜のようで、一年草かと思うようないでたちでした。しかし、冬を越して4年目になって見ると立派な木です。その根元の茎の太さは直径15cmぐらいはあります。鳥が枝に巣を作るのも分かります。私が感動するのは、鈴なりに黄色い花を咲かせ、その一つ一つの小さな袋に無数の種を作るのです。ですから、多くの種を周りにばらまきます。たとえの解釈として小さな種は、イエス様の言葉のことです。人の心にしっかりと根ずくと、心に神の国が広がり、多くの御言葉を広める人になります。しっかりと心に根ずくことがカギです。あぶ
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by bts_wn | 2008-05-16 15:48 | ステパノ勝利

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