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フィンランドの片田舎での営み
by bts_wn
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カテゴリ:聖霊による涙( 3 )

アメージング・グレース

アメージング・グレースの歌しっていますか?聖歌で「驚くばかりの」という題名ですが、驚くばかりの事をやはり神様はなさってくれます。

夫には兄弟が多く、人間関係の苦手な私は独りで勝手に苦労していました。親子が話しながら団らんするという夫の家族の光景に私は圧倒されて、(この家族はなんてなかのいい家族なんだろう)と思い、(私にはこういう所に居場所がない)と自分で彼らの間に距離を置いていました。都市部に住んでいる姉たちとはつき合っていましたが、週末ごとに「一緒に遊ぼう」と言われるのが何年もつづくと、次第に(そこまで毎週毎週一緒にいる必要もないじゃない)と、嫌気が差してきました。

特にいやな気持ちになったのは、時間にルーズな夫の家族に、約束を放り出されたり、家族で集まる機会が多いし、こっちはおもてなしの準備をして待っているのに、時間にあらわれなかったりと、自分の生きてきた環境と彼の家族の習慣の違いに傷つくこともありました。特に時間にルーズなのが嫌いな私は余計イライラしました。自分のやる事に意味がないように思われたからです。あと、社会的地位の高い姉に障害を持つ子がいましたが、自分の用のある当日の数時間前に、いきなり「今日、ベビーシッターして」と頼まれ、「NO」と言えない自分でもあったから本心はイヤなのに引き受けてしまったり、その後で夫に嫌だと話す機会もありましたが、その度に「お前は心がないのか?これは義務だろう」と言われ、私の言う事は何も尊重してくれないんだという思いが何年も積もっていました。


姉の一人はシングルマザーで、若い頃は拒食症にもなり、成人してからはアル中になったりと大変な人生を送っていました。食べ物にアレルギーもあり、食事に招待する時もいつも気を使いました。彼女は精神的に弱く、何か危機に陥る度に夫に深夜になると何時間も電話をしてきたりしたので、そこでも私は(やっぱり自分の兄弟の方が大事で、自分の方が大切にされていないんだ)と思いました。私にも直接電話してきたりしたので、小さい子供の世話などで忙しい時期だったので、本当に迷惑に思っていました。見た目で精神的に大丈夫とはいえない時も、私はただ見ているだけでした。

さて、このシングルマザーの姉の娘が15歳になり、堅信礼(RIPPI)がありました。ルーテル教会に属しているフィンランド国民はこのRIPPI後に教会での聖餐式に加わり、ゴッドファーザーやマザーになる事ができるようになります。もちろん、また家族内でのお祝いです。この夏は夫の実家や兄弟との交わりも多く、ちょっともううんざりしていました。どうせいつもの昔話だし、私のしらない人の事話されても私はついていけない…。こんなしょっちゅう会っているのに「最近どう?」っていう話もしたくない。この娘の儀式は嬉しかったですが、その後の家族での交わりは本当にイヤでした。それがやはり態度にでてしまうって分かっていましたが、どうにもならない事です。
帰宅後夫にやはり「なんでお前はパーティであんな無関心でいれるんだ」と責められました。古いわたしだったら、怒って理由を並べるところでしょうが、私は私の非を分かっていたのでただ神の御前で祈り、泣きました。どうしてもあの集まりの中で私はオープンになれず、誰ともどんな事も話す気になれない、責められてもそれは自分でどうにもできませんと。

それから二日後、シングルマザーの姉から突然電話がかかってきました。普段無い事だったので、緊張して電話にでて話を聞きました。最初(酔っているのかな?)と思いましたが、なんと彼女も「自分も毎週教会に通っている」、「イエスがいなければ人生やっていけない」、「お酒だって完全にやめた」などとなり、そして「Rika、今まであなたを傷つけてきてごめんね」と。私は戸惑いました。どうして謝れるの?って。そして「自分が子供の頃に歌った賛美を歌う」と電話口で歌い始めました。「ごめんね」この一言を私は夫やその家族の誰からか、無意識の中でどれほど望んでいたんだろう。それを聖霊に示され「ごめんね、姉さん。私のほうが謝らなくてはいけなかった…」私も涙を流しながら彼女に謝りました。姉の信仰はどういうものだろう?と最初疑問を抱きましたが、こうやって「ごめんね」と言う事が出来る事、それが神からの恵み。私はそれができるように信仰を与えられたのに、自分の心がどうしても夫の家族達を赦したくないと今まで赦す事を拒んできていました。自分は自分の弱さを見て、知るだけで精一杯な時だったけれど、彼女の勇気ある行動で私は人の弱さをも理解出来るようになったと思います。

「われらに罪をおかすものを
われらがゆるすごとく
われらの罪もゆるしたまえ」 

と、主の祈りにありますが、赦す事は神の恵みがなければできない事です。
こうやって、自分で予測できない事ばかり起こしてくれるイエス様はやはり素晴らしい!
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by bts_wn | 2008-08-21 20:05 | 聖霊による涙

心の光線療法

最近やってしまった事で自分の存在が嫌になり、こんな私だったらこの世に存在しなくてもいい!自分のアイデンティティは?ということを考えさせられた時期だった。祈りの中で泣き、礼拝中に泣き、聖書を読んでいても泣く、毎日のように涙が出てくる、そんな日々が2週間続いている。

今まで自分は表現する事を学んできて、自分があるんだと思い込んでいたけれど、それさえ不確かだったと。

他人の意見の真ん中でどっちの意見も正しいと思える状況で、自分は自分なりの意見を持っているって思っていたけれど、実際は自分の意見っていうのも、人の意見の端っこの部分を切り取って持っているだけなんじゃ?って思ったり。

子供の頃意見の対立する父母の間で、自分がどっちに従えばいいのか解らない状態を思い出した。

中学入学の時、親が書いた児童の情報の書類に「長所」欄があって、親はそこに「素直」とだけかいた。
私は(私のいい所ってそれだけ?)って思ったけれど、何も言えない。
(素直ってこの場合、親とか周りの言う事に従順だって意味だよな)とも思った。

親に自分の本当の希望を言った事は、「大学進学の時」、「ドイツへ出たかった時」ぐらい。

高校生になって美術予備校に通い始めた時は、周りの個性の中で自分が押しつぶされてしまうって思ったから、(自分だって)って思ってその時から今までの消極的な自分とは違う自分になったと思っていたけれど、それだって結局は自分を守るために必死だっただけだったのではないか?

コンクールに作品出せば、1等とか取ってしまう事が多かったけれど、それは実は教師の好みに合わせた物を作っていただけなのではないか?とか。

表現生活を(とりあえず若い頃)してきたつもりだったけれど、それは実は誰かの真似だったりしたんじゃないのか?とか。

たくさん本も読んできたけれど、結局それだってその著者の言う事を鵜呑みにしていただけで、自分では何も知らないだけだよね、とか。

自分はヘッド取り替え式の電気器具みたく、誰かの価値観をよく見ていて、周りが変われば自分の意見もやる事もそれに合わせて変わる、みたいな存在だったんじゃないか?

スロットマシーンの目みたいに3つ(これがそうだろう)っていう物がそろったら、それが自分の考え、意見としていただけではないのか?とか。

表現にこだわってきたのも、見る人の反応に自分の存在を照らしてきただけだったのじゃないのか?とか。

自分は無いのに、人を傷つけることは平気で言える。神を知った後だって、そう。
本当に私は無力で、どうしようもない存在で愛のある行動も取れない人間だ。
本当に生まれ変わりたいと思った。

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何週間か前に高校時代の恩師からはがきが来た。本人も書いていたけれど「年賀状の季節でもないのに」って不思議に思っていた。最後に会ったのは6年前でその後は、クリスマスカードを送るだけ。あちらからは何も来ない状態だった。

彼女は私の夢に助言し援助し、当時ただ一人心を打ち明けて話せる大人だった。
思春期にそういう大人と出逢えて、私は本当に助かったと思っていた。
彼女がいなかったら、自分はフィンランドに住んでいないかもしれない、自分の人生の分岐点にいた人だ。
彼女がその先の私の人生に影響を与えた。

祈りの中で、その後に出逢った人々が出てきた。
一人は自分の人生にさらに多大な影響を与えた人物、もう一人は信頼しきっていた友達。
でも、自分勝手な想いをぶつけてお互い傷つけ合った人達。
その時自分も相手を傷つけたし、自分も人格を否定されるほど傷つけられた。
今の日常生活でその人達を思い出す事は滅多に無い。
そして、それはそれで自分の中で完結した物語と思っていた。
でも、それはそうではなかった。
自分の心の中の箱に鍵をかけ、ずーっと今まで閉まっていたもの。
それを今、捨ててしまいなさいとイエスに言われた。
そして、彼らに自分のした事を悔い改め、当時の想いをイエスに吐き出した。

あるランチタイムに友人にあったら、「大丈夫?」と聞かれ、その後会った友人にも「どうしたの?仕事疲れ?」って言われた。
仕事ではこんなにやつれない。
恐らく自分の顔は「ちびまるこちゃん」に出てくるような、線が入ったような暗い顔をしていただろう。
自分でも、今まであった何かがえぐり取られたような感じがしていた。
自分でイエスに預けきれない感情を、イエスが取り出していったのだから。
古いマインドが、鍵をかけて閉まっていたものが、これほど自分の魂の重荷だったとは…。
その後、さらに回復の時を待ち、やっと「えぐり出され感」が消えた。

今まで水の中に沈んでもがいていた自分を、イエスの名前により水面へと挙げられて、そこでやっと空気を吸える開放感を味わった。あまりにも長く沈んでいたから新鮮な空気を吸える事の開放感は長く持続した。
でも、今回、「あなたがまだ付けている石の重りを、はずしなさい」って言われて、それが外された。
今までつけていた重しがついに外されたのだ。
今の感覚は何も力を入れずに、浮力に任せて水の上に身体を浮かせているような感覚だ。

今日も車を運転中、賛美歌のCDを聞きながら歌っていたら涙が溢れてきた。
まだまだ心のクリーニングが行われている。
でも、運転中は事故しそうだからちょいと困るんだけれど…。
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by bts_wn | 2007-09-30 19:56 | 聖霊による涙

聖霊の涙と天使

引越期間中、子供達を夫の実家に預けていましたが、そろそろ学校も始まるし規則正しい生活のリズムに戻さなければならないので、子供達を引き取りに行ってきました。

実家には夫の両親、姉とその子供、夫の姪と私たち母子というメンバーでした。
私は来た次の日にヘルシンキでどうしても外せない用事があったので、どうしても昼12時には実家を出て車でヘルシンキまで帰らないといけない。若者と子供達は連日の夜更かしで10時頃目覚める。それでまだゲームをして遊ぶと言う。

「できれば12時前に出たい」と一人慌てていた私でしたが、夫の父は「そんな事昨日聞いていないし、自分はこの姪の宿題(フィンランドの学校では珍しく夏休みの宿題が出た)の手伝いが終わるのを12時に設定してあるから、その前には絶対終わらない」って言い出した。
車に荷物を運んでいる最中に、この義父の言葉を反芻しているうちに「カチッ」と感情のスイッチが入ってしまい、怒りがこみ上げて来た。イエスを信じるようになって以来、感情のスイッチが入る事はかなり減ったけれど、それが今回は瞬間的にスイッチが入った。結婚して以来、どれほど私はこの家族の時間のルーズさにイライラさせられているのに、私がただの一回約束の時間(しかも自分のための用事ではない)を守るために出発を優先させるのがそんなにいけない事?と。怒りはものすごく大きくなり、(絶対この事は義父に言ってやる!)と抑えきれず、義父の所まで帰り言いました。

「おじいちゃんはそうやっていうけれど、私だってあなた達との時間の約束に何度イライラし、時にはごちそうを約束の時間ぴったりに出来上がるように作って待っていた事だってあるのに、私の要求にそうやっていう事はできないはずです」と。言うのと同時に涙が溢れて来た。義父は「自分はこうやってなんの要求もせず、子供を助けて宿題手伝っているのに、それが終わるまでは時間は関係ない」と言う。私が始めたからみんな集まって来てしまって、当の中学生は「私は自分でやるっていっているのに、おじいちゃんが言う事きいてくれないから」とこちらまで泣き出してしまった。

男性と言い合いをするときに、女はつい過去に起こった様々な事を引き合いにだすけれど、男性はそんな事いちいち覚えていないから、何の事について言われているのだか解らない男性が大半。もちろん義父もそう。でも怒りが頂点に達してしまっている私は、さらに言い続ける。「姉さんだって、招待して来るって言っておいて来なかったり、いきなりその日に「今日、子供の面倒みてくれない?」とかどうして、私にはそうやって時間にいい加減な事ばかりするのに…。私は今まで我慢してあなた達には愚痴ひとつ言わずに、我慢して来た。でも、今ここで私にだって自分の時間の使い方に対して言う権利はあります!!!」。

義母も全部聞いていたので、私に謝る、「ごめんね」と。私は涙が止まらないので、ポーチに行って祈りながら神に謝罪していたら、義母が喘ぎ出してしまった。私が暴走したために、義母が呼吸困難になって倒れてしまったらしい。すぐ義母の所に戻り「天のお父さま、ごめんなさい。私が愚かな怒りをぶつけたために、こんなになってしまいました。どうか義母は助けてあげて下さい」と祈った。しばらくして義母は落ち着いたので、二人で座り話そうとした。

そこへ姉の娘ダウン症の子が私たちをハグしにやって来た。彼女は私もハグし「そんなに大声で言うと、耳がおかしくなっちゃうよ」と言った。私は涙が止まらなくなり、彼女の胸で泣いた。「ごめんね…。こんな私なのに、こんなに愛をかけてくれてありがとう…」。ダウン症で一般人のようには生活出来ない彼女に対して、いつも彼女の事をさげすんでいた自分がいた。それなのに、この子は私を慰め、その胸で泣かせてくれる。なんて自分の器は小さく、自分勝手だったのだろうと。

私は姉に言った。「この子は本当に天使で、神の子だって私は今解った」と。姉も泣いていた「自分が哀しいわけじゃないのに、どうしてこんなに涙が出るのかわからない」って…。

このダウン症の子は思春期になり、身体も大人びてきた。でも裸で遊泳場をふらふらしてしまったりして(うわぁ、困ったなぁ…)って私は思っていた。アダムとイヴがエデンの園で裸で暮らしていた頃彼らは裸を恥じなかった。そして禁断の果実を食べ罪が人間に入ったときに彼らが自分達が裸なのに気がついてしまった。それを考えると、この子は罪に犯されていない、神に創られた人間の最初の状態と同じなんだと。

怒りはぶつけてしまったけれど、聖霊の涙で怒りは流されたし、事後もイエス様が整えてくれる事を信じています。
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by bts_wn | 2007-08-09 18:58 | 聖霊による涙