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between the sky


フィンランドの片田舎での営み
by bts_wn
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心の光線療法

最近やってしまった事で自分の存在が嫌になり、こんな私だったらこの世に存在しなくてもいい!自分のアイデンティティは?ということを考えさせられた時期だった。祈りの中で泣き、礼拝中に泣き、聖書を読んでいても泣く、毎日のように涙が出てくる、そんな日々が2週間続いている。

今まで自分は表現する事を学んできて、自分があるんだと思い込んでいたけれど、それさえ不確かだったと。

他人の意見の真ん中でどっちの意見も正しいと思える状況で、自分は自分なりの意見を持っているって思っていたけれど、実際は自分の意見っていうのも、人の意見の端っこの部分を切り取って持っているだけなんじゃ?って思ったり。

子供の頃意見の対立する父母の間で、自分がどっちに従えばいいのか解らない状態を思い出した。

中学入学の時、親が書いた児童の情報の書類に「長所」欄があって、親はそこに「素直」とだけかいた。
私は(私のいい所ってそれだけ?)って思ったけれど、何も言えない。
(素直ってこの場合、親とか周りの言う事に従順だって意味だよな)とも思った。

親に自分の本当の希望を言った事は、「大学進学の時」、「ドイツへ出たかった時」ぐらい。

高校生になって美術予備校に通い始めた時は、周りの個性の中で自分が押しつぶされてしまうって思ったから、(自分だって)って思ってその時から今までの消極的な自分とは違う自分になったと思っていたけれど、それだって結局は自分を守るために必死だっただけだったのではないか?

コンクールに作品出せば、1等とか取ってしまう事が多かったけれど、それは実は教師の好みに合わせた物を作っていただけなのではないか?とか。

表現生活を(とりあえず若い頃)してきたつもりだったけれど、それは実は誰かの真似だったりしたんじゃないのか?とか。

たくさん本も読んできたけれど、結局それだってその著者の言う事を鵜呑みにしていただけで、自分では何も知らないだけだよね、とか。

自分はヘッド取り替え式の電気器具みたく、誰かの価値観をよく見ていて、周りが変われば自分の意見もやる事もそれに合わせて変わる、みたいな存在だったんじゃないか?

スロットマシーンの目みたいに3つ(これがそうだろう)っていう物がそろったら、それが自分の考え、意見としていただけではないのか?とか。

表現にこだわってきたのも、見る人の反応に自分の存在を照らしてきただけだったのじゃないのか?とか。

自分は無いのに、人を傷つけることは平気で言える。神を知った後だって、そう。
本当に私は無力で、どうしようもない存在で愛のある行動も取れない人間だ。
本当に生まれ変わりたいと思った。

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何週間か前に高校時代の恩師からはがきが来た。本人も書いていたけれど「年賀状の季節でもないのに」って不思議に思っていた。最後に会ったのは6年前でその後は、クリスマスカードを送るだけ。あちらからは何も来ない状態だった。

彼女は私の夢に助言し援助し、当時ただ一人心を打ち明けて話せる大人だった。
思春期にそういう大人と出逢えて、私は本当に助かったと思っていた。
彼女がいなかったら、自分はフィンランドに住んでいないかもしれない、自分の人生の分岐点にいた人だ。
彼女がその先の私の人生に影響を与えた。

祈りの中で、その後に出逢った人々が出てきた。
一人は自分の人生にさらに多大な影響を与えた人物、もう一人は信頼しきっていた友達。
でも、自分勝手な想いをぶつけてお互い傷つけ合った人達。
その時自分も相手を傷つけたし、自分も人格を否定されるほど傷つけられた。
今の日常生活でその人達を思い出す事は滅多に無い。
そして、それはそれで自分の中で完結した物語と思っていた。
でも、それはそうではなかった。
自分の心の中の箱に鍵をかけ、ずーっと今まで閉まっていたもの。
それを今、捨ててしまいなさいとイエスに言われた。
そして、彼らに自分のした事を悔い改め、当時の想いをイエスに吐き出した。

あるランチタイムに友人にあったら、「大丈夫?」と聞かれ、その後会った友人にも「どうしたの?仕事疲れ?」って言われた。
仕事ではこんなにやつれない。
恐らく自分の顔は「ちびまるこちゃん」に出てくるような、線が入ったような暗い顔をしていただろう。
自分でも、今まであった何かがえぐり取られたような感じがしていた。
自分でイエスに預けきれない感情を、イエスが取り出していったのだから。
古いマインドが、鍵をかけて閉まっていたものが、これほど自分の魂の重荷だったとは…。
その後、さらに回復の時を待ち、やっと「えぐり出され感」が消えた。

今まで水の中に沈んでもがいていた自分を、イエスの名前により水面へと挙げられて、そこでやっと空気を吸える開放感を味わった。あまりにも長く沈んでいたから新鮮な空気を吸える事の開放感は長く持続した。
でも、今回、「あなたがまだ付けている石の重りを、はずしなさい」って言われて、それが外された。
今までつけていた重しがついに外されたのだ。
今の感覚は何も力を入れずに、浮力に任せて水の上に身体を浮かせているような感覚だ。

今日も車を運転中、賛美歌のCDを聞きながら歌っていたら涙が溢れてきた。
まだまだ心のクリーニングが行われている。
でも、運転中は事故しそうだからちょいと困るんだけれど…。
by bts_wn | 2007-09-30 19:56 | 聖霊による涙