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between the sky


フィンランドの片田舎での営み
by bts_wn
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種まきのたとえ 自分の場合

コリント 3:6 「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」

聖書の会での学びで学んだ言葉ですが、その前に「聖書の言葉を初めて知ったのはいつだ?」という質問がありました。
私はフィンランドに来てから聖書を読んだのが初めてだったかな?って思ったのですが、よく考えてみると聖書に関連する知識というのはかなり前から持っていました。

中学生の頃学校を憎み、教師を憎み、世を呪い、家族を憎んでいた私はファンタジーの世界の虜となっていました。現実を見たくない、想像の世界でのみ自分の居場所があった感じです。そういう中で読んだSFファンタジー本の中に「ノアの箱船」の話から発展させた物語がありました。世を嫌っていた私は(こういう話みたくみんな滅んでしまえばいいのに)って思ったものです。この時、もし滅びが来ていたら、自分だって滅ぼされる一人だってことは解っていませんでしたが…。
SFファンタジーだって聖書からソースをとっている作品は非常に多い。あの「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」だって聖書を知れば、(なんだただの真似なんだ)って解るはずだと思います。
そういう訳でノアの話は大好きで、中学の卒業文集だかなんだかの表紙の絵を描けと言われた時に、「鳩がオリーブの葉を持って戻ってくる」つまり「希望」の部分を描きました。聖書の言葉は何も知らなくても、この時すでに聖書の存在は知っていた事になります。

そしてフィンランドにやって来て、育児の話や世間話、情報交換の場としても開放されていた聖書の会に来るようになって、初めて聖書を手にとり読みましたが、「神の御言葉」が自分の中に「種」として蒔かれていたのか?とちょっと不思議に思いました。たとえ話も言っている事がよく解らなかったし、自分にはこれは理解できない書物なんだとさえ思っていました。
ヨハネの福音書の「初めに言があった」を読んで、(宇宙が出来て地球が出来て、人間が後から出て来たのに、人間だけが言葉を話すのに「初めに言があった」ってどう考えても理解出来ない)と考えていました。

ある日、元日本宣教師の先生に「義母が私が洗礼を受けていないのは、残念と思っているようです」と話しました。そしたら先生は「もちろん、死んだ後にあなただけ家族と一緒に天国に行けないから、それが心配なんでしょう」と言われ(私って死んだら家族と別の所に行くのかな?)って小さな疑問がありましたが、真剣に死んだらどうなるなんて考えませんでした。(死んだら灰にしてもらって、日本の海にでも蒔いてもらえばいいや)ってそういう事ぐらいしか考えられなかった私です。多くのフィンンランド人と結婚している日本人女性は夫の親や夫本人から言われるか、それに結婚式をするために洗礼を受けている人がたくさんいますが、私には心から信じていないものを「信じます」と言う事にして洗礼を受ける事は、自分の選択肢の中には無かった。(結婚式は田舎の教会で挙げたので、特に洗礼を強要される事もなく未信者のままルーテル式で結婚しました)

こんな聖書を読んでも何も解っていず御言葉のひとつも暗記する事さえなかったし、死後の世界も考えた事のない自分でしたが、それでも自分の心に「神の言」は蒔かれていました。それが急に成長したのも本当に自分の意志の大きさではなく、神の「御技」だったんだなと。

種まきのたとえ 自分の場合_e0123689_1924143.jpg

by bts_wn | 2008-01-30 19:10 | 日々雑感